源氏物語 明石の巻・歴史散歩 ~明石藩主の想定地~
■兵庫県明石市と源氏物語
・須磨の巻の場合は、光源氏のモデルとも言われる公家の在原行平が一時的に須磨に住んでいたので、須磨に史跡があることは理解できます。
・しかし、明石の場合は、在原行平に相当する人がいないので、史跡はないと筆者は思っていました。
・念のため、ネット検索すると、源氏物語の史跡が明石にありました。
・江戸時代の明石藩主で文学好きだった松平忠国候が、源氏物語の「浜の屋形」と「岡の屋形」の想定地を考え歌碑などを設置したため、現在も訪れることができます。
・もちろん、想定地が正しいかどうかはわかりませんが参考になります。
★参考
善楽寺戒光院~源氏物語:光源氏・明石入道ゆかりの浜の館~ (yoritomo-japan.com)
◆明石の巻 浜の屋形
・松平忠国候は、現在の明石市大観町にある善楽寺戒光院が明石入道の浜の館跡で、光源氏が身を寄せたものと想定している。
・善楽寺は孝徳天皇の大化年間(645~649年)に法道仙人が開創しているので、紫式部が生きた時代の約500年前にあたる。
・善楽寺には、松平忠国候が設置したと思われる明石入道の碑や歌碑が残る。
・戒光院の南には、光源氏が岡辺の屋形へ通う際に通ったと想定される蔦の細道がある。
◆明石の巻 岡辺の屋形
・松平忠国候は現在の神戸市西区櫨谷(はせたに)町松本に明石入道の岡辺の屋形があり、明石の上が住んでいたと想定している。
・現地は、浜の屋形から北へ約6.5kmの櫨谷川のほとりにある。
・現在、建物はなく松平忠国候が詠んだ歌碑が残る。
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2024/03/22撮影)
・パソコンよりもスマホの方が画素密度が高いためきれいに見えます。
・4Kテレビで見ると、くっきり鮮やかに見ることができます。
◆筆者は下記の写真①~⑯は地図を見ながら徒歩で巡りました。明石駅からの往復は約3.7km、約1時間でした。
◆その後は明石駅前から13系統(高津橋経由西神中央行)の神姫バスで松本まで行きました。
・松本バス停から、地図を見ながら徒歩で写真⑰~㉚を経由して歩き、平野八幡神社前バス停から明石駅へ戻りました。
・復路のバスは便数が多いので来たバスに乗りました。
・写真を多数撮りながらゆっくり歩いて、約2.2km、約1時間でした。
・松本から平野八幡神社までの各ポイントはgoogle地図に記載されています。
◆浜の屋形
①善楽寺山門
②善楽寺縁起
③善楽寺
・南側から見た戒光院(広い境内です)
④戒光院をズームアップ
⑤光源氏古跡 明石之浦之濱之松
・松の手前の石柱に上記のとおり刻まれているようです。
⑥明石入道之碑
・右の大きい宝篋印塔も明石入道のもののようですが、正確にはわかりません。
・宝篋印塔の後方に松平忠国候の歌碑があります。
⑦松平忠国候の歌碑
・「いにしへの名のみのこりて 有明のあかしの上のおや住みし跡」
⑧~⑨平相國清盛の菩提塔と説明板(後方は無量光寺の山門)
⑩無量光寺山門
⑪無量光寺本堂?
⑫源氏稲荷大明神(無量光寺内)
⑬蔦の細道(光源氏が岡辺の屋形へ通った道)
・左の小路が蔦の細道です。
⑭~⑮蔦の細道の説明板
⑯蔦の細道から見た戒光院
◆岡之屋形(現在の住所は、神戸市西区櫨谷町松本)
⑰松平忠国候の歌碑
・右側正面に西神中央のビルが見えています。
⑱松平忠国候の歌碑
・「月影の光る君住む跡とへば 星の屋敷に志げる蓬生」
⑲松平忠国候の歌碑(歌碑の後側から撮影)
・右の建物は松本統合井堰操作室
◆以下は、源氏物語とは無関係の話ですが、行ってみて面白かったので記載します。
⑳松本統合井堰操作室
㉑櫨谷(はせたに)川の松本統合井堰
㉒松本自噴泉公園
・中央は周辺との高低差によって多量に自噴する水です。
・この自噴泉は1970年に発見されました。
㉓自噴泉の説明板
㉔自噴泉公園の全景
㉕子午線通過地点
・松本自噴泉公園付近は、東経135度の子午線が通過している地点です。
㉖櫨谷川左岸のオカメ桜並木
・後方の山並みは丹生(たんじょう)山系です。
㉗櫨谷川(松本下橋から撮影)
・後方は西神中央のビルです。
・ビルの下を左右に走る高架道路は第二神明道路です。
・中段のやや上の右端に見える白い建物が松本統合井堰操作室で、見えませんがその後ろに岡之屋形の歌碑があります。
・松本下橋をわたって以後は右岸を歩きました。
㉘史跡 安倍晴明 ゆかりの石
・紫式部と同時代に活躍した陰陽師・安倍晴明が梵字を刻んだという大岩です。
・神戸市西区平野町慶明の慶明寺墓園の入口にあります。
㉙史跡 安倍晴明 ゆかりの石
・大岩の右側面に文字が彫られています。
㉚史跡 安倍晴明 ゆかりの石・説明板
■紫式部・源氏物語関連の投稿一覧
・現光寺は須磨に蟄居した光源氏の住まいとして知られています。
・光源氏は小説の主人公で架空の人物なのに、なぜこのように言われているのか不思議です。
・須磨寺には源平の庭の近くに光源氏が植えたという「若木の桜」と伝えられる桜の木があるそうですが、今回は見落としました。
③【後編】須磨離宮公園(月見台・行平月見の松・梅園)、松風村雨堂
・光源氏のモデルとも言われる在原行平が月見をした月見台・月見の松や、行平が愛した松風村雨姉妹ゆかりの松風村雨堂を巡ります。
④【別編】源氏物語 須磨の巻・歴史散歩 ~多井畑厄除八幡宮~
・須磨配流中の在原行平や、一ノ谷合戦前の源義経が日本最古の厄除けの霊地である多井畑(たいのはた)厄除八幡宮に祈願したといわれています。
・在原行平が愛した松風村雨姉妹は多井畑の村長の娘で、鏡の井や墓が今も残っています。
・古来、多井畑は交通の要衝で、すぐ西に摂津と播磨の国境がありました。
・江戸時代の明石藩主で文学好きだった松平忠国候が、源氏物語の「浜の屋形」と「岡の屋形」の想定地を考え歌碑などを設置したため、現在も訪れることができます。
・第65代天皇である花山天皇は、藤原氏の策謀により986年(寛和2年)6月22日に19歳の若さで出家されました。
・花山法皇は兵庫県三田市の花山院に隠棲された寺として有名で、西国霊場の番外札所なので多数の参詣者があります。
・書写山円教寺の性空(しょうくう)上人は、平安時代中期にもっとも崇敬を受けた高僧の一人で、多くの人が書写山に参詣しています。
・花山法皇は性空上人との結縁(けちえん)を求めて書写山へ行幸し、円教寺は圓教寺号を賜って花山法皇の御願寺となり、大講堂が造立されました。
・京都市の小塩山、福井県越前市の日野山へ登ったときの記録です。
=以上=