【後編】源氏物語 須磨の巻・歴史散歩 ~須磨離宮公園・松風村雨堂~
■神戸市須磨区は歴史の宝庫
・須磨周辺には数多くの史跡が点在します。
・今回は、紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」にちなんで源氏物語ゆかりの地を訪れました。
・架空の人物である光源氏が住んでいたという源氏寺が実在することに驚きました。
・光源氏のモデルともいわれる在原行平(ありわらのゆきひら)は、一時的に都を追われ須磨で過ごしました。
◆今回の歩行ルートは、山陽須磨駅→村上帝社→関守稲荷→現光寺(源氏寺)→須磨寺→須磨離宮公園(月見台・行平月見の松・梅園)→松風村雨堂→月見山駅です。
・多数の写真を撮りながら歩いて、距離は約5km、所要時間は約3.5時間でした。
・当ポータルサイトでは前・中・後編の3つに分けてご紹介します。
・源氏物語関連の投稿一覧は末尾にあります。
★観光案内・須磨離宮公園HP
須磨観光施設協議会 – 須磨浦周辺 (suma-kankokyokai.gr.jp)
在原行平と松風・村雨の伝説 松風村雨堂 – 須磨の浦の歴史・文学・伝記 – 須磨浦商店街 (sumaura.jp)
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2024/02/09撮影)
・パソコンよりもスマホの方が画素密度が高いためきれいに見えます。
・4Kテレビで見ると、くっきり鮮やかに見ることができます。
・須磨の史跡は説明板が充実しているので、その写真も紹介しております。
◆須磨離宮公園
①南側の道路から見た月見台
・写真の山上左端付近に月見台休憩所があります。
・月見台は標高約62mに位置し、南側はさえぎるものがない展望が開けています。
②月見台休憩所
③~④月見台休憩所から見た大阪湾
⑤月見台休憩所・説明板
⑥在原行平 月見の松跡・石碑
・「まつかげや 月は三五夜 中納言」は安原貞室の句で、中納言とは在原行平です。
⑦傘亭
⑧月見台と四阿舎「傘亭」・説明板
⑨須磨離宮公園・噴水
◆須磨離宮公園・梅林
⑩~⑰梅林
・梅林は見ごろで人がたくさん来ていました。
◆松風村雨堂
⑱入口の石碑
・石碑の右面は「松風村雨堂」
・石碑の左面は在原行平の和歌「たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む」
⑲松風村雨堂・説明板
⑳右から、観音堂、「衣掛けの松」の古株のお堂、その左は現在の「衣掛の松」
㉑左は観音堂、右は石仏が並ぶお堂
㉒石仏が並ぶお堂
㉓衣掛の松
・在原行平が都へ帰るときに、この松に烏帽子と狩衣を掛け、和歌「たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む」を添えて、松風村雨姉妹には会わずに旅立ったそうです。
㉔衣掛の松の古株
㉕謡曲「松風」と松風村雨堂に磯馴松・説明板
■紫式部・源氏物語関連の投稿一覧
・現光寺は須磨に蟄居した光源氏の住まいとして知られています。
・光源氏は小説の主人公で架空の人物なのに、なぜこのように言われているのか不思議です。
・須磨寺には源平の庭の近くに光源氏が植えたという「若木の桜」と伝えられる桜の木があるそうですが、今回は見落としました。
③【後編】須磨離宮公園(月見台・行平月見の松・梅園)、松風村雨堂
・光源氏のモデルとも言われる在原行平が月見をした月見台・月見の松や、行平が愛した松風村雨姉妹ゆかりの松風村雨堂を巡ります。
④【別編】源氏物語 須磨の巻・歴史散歩 ~多井畑厄除八幡宮~
・須磨配流中の在原行平や、一ノ谷合戦前の源義経が日本最古の厄除けの霊地である多井畑(たいのはた)厄除八幡宮に祈願したといわれています。
・在原行平が愛した松風村雨姉妹は多井畑の村長の娘で、鏡の井や墓が今も残っています。
・古来、多井畑は交通の要衝で、すぐ西に摂津と播磨の国境がありました。
・江戸時代の明石藩主で文学好きだった松平忠国候が、源氏物語の「浜の屋形」と「岡の屋形」の想定地を考え歌碑などを設置したため、現在も訪れることができます。
・第65代天皇である花山天皇は、藤原氏の策謀により986年(寛和2年)6月22日に19歳の若さで出家されました。
・花山法皇は兵庫県三田市の花山院に隠棲された寺として有名で、西国霊場の番外札所なので多数の参詣者があります。
・書写山円教寺の性空(しょうくう)上人は、平安時代中期にもっとも崇敬を受けた高僧の一人で、多くの人が書写山に参詣しています。
・花山法皇は性空上人との結縁(けちえん)を求めて書写山へ行幸し、円教寺は圓教寺号を賜って花山法皇の御願寺となり、大講堂が造立されました。
・京都市の小塩山、福井県越前市の日野山へ登ったときの記録です。
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