【別編】源氏物語 須磨の巻・歴史散歩 ~多井畑厄除八幡宮~
■神戸市須磨区は歴史の宝庫
・須磨周辺には数多くの史跡が点在します。
・今回は、紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」にちなんで源氏物語ゆかりの地を訪れました。
・架空の人物である光源氏が住んでいたという源氏寺が実在することに驚きました。
・光源氏のモデルともいわれる在原行平(ありわらのゆきひら)は、一時的に都を追われ須磨で過ごしました。
◆新たに、【別編】多井畑(たいのはた)厄除八幡宮を追加しました。
・源氏物語関連の投稿一覧は末尾にあります。
★観光案内
須磨観光施設協議会 – 多井畑周辺 (suma-kankokyokai.gr.jp)
在原行平と松風・村雨の伝説 松風村雨堂 – 須磨の浦の歴史・文学・伝記 – 須磨浦商店街 (sumaura.jp)
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2024/02/24撮影)
・パソコンよりもスマホの方が画素密度が高いためきれいに見えます。
・4Kテレビで見ると、くっきり鮮やかに見ることができます。
・多井畑厄除八幡宮については、下記HPに詳しい説明がありますのでご覧ください。
多井畑厄除八幡宮(神戸・須磨)日本最古の厄除の霊地 – 多井畑厄除八幡宮 公式ホームページ (tainohatayakuyokehachimangu.or.jp)
歴史と由来 – 多井畑厄除八幡宮 公式ホームページ (tainohatayakuyokehachimangu.or.jp)
境内 – 多井畑厄除八幡宮 公式ホームページ (tainohatayakuyokehachimangu.or.jp)
・境内の外の住宅地域にある義経腰掛の松、松風村雨の鏡の井・墓の説明も「境内」に記載されています。
①右は大鳥居、左は石段です。
②由緒書
③石段
・「日本最古の厄除けの霊地」の看板
④鳥居と金色の注連縄
⑤~⑦正面は拝殿
⑧拝殿の奥の社殿(名称不明)
⑨神輿庫
⑩連なる社殿の屋根
⑪奥は本殿の屋根のようです。
⑫摂社
⑬~⑮疫神祭塚
⑯疫神祭塚前のひながた(この写真は拡大できません)
・紙のひながたに名前を書いて厄除けのために水に浮かべます。
⑰ほんがんさん(義経腰掛の松)
・ほんがんは、判官が転訛したものです。
・一ノ谷合戦の戦勝祈願後に源義経が腰掛けて休んだと伝わります。
⑱義経腰掛の松・説明板
⑲義経腰掛の松の横の宝篋印塔や五輪塔
⑳鏡の井
・松風村雨が姿を映したという井戸です。
㉑松風村雨の墓
・左が姉の松風、右が妹の村雨の墓石(五輪塔)と言われています。
㉒松風村雨の墓の石碑
■紫式部・源氏物語関連の投稿一覧
・現光寺は須磨に蟄居した光源氏の住まいとして知られています。
・光源氏は小説の主人公で架空の人物なのに、なぜこのように言われているのか不思議です。
・須磨寺には源平の庭の近くに光源氏が植えたという「若木の桜」と伝えられる桜の木があるそうですが、今回は見落としました。
③【後編】須磨離宮公園(月見台・行平月見の松・梅園)、松風村雨堂
・光源氏のモデルとも言われる在原行平が月見をした月見台・月見の松や、行平が愛した松風村雨姉妹ゆかりの松風村雨堂を巡ります。
④【別編】源氏物語 須磨の巻・歴史散歩 ~多井畑厄除八幡宮~
・須磨配流中の在原行平や、一ノ谷合戦前の源義経が日本最古の厄除けの霊地である多井畑(たいのはた)厄除八幡宮に祈願したといわれています。
・在原行平が愛した松風村雨姉妹は多井畑の村長の娘で、鏡の井や墓が今も残っています。
・古来、多井畑は交通の要衝で、すぐ西に摂津と播磨の国境がありました。
・江戸時代の明石藩主で文学好きだった松平忠国候が、源氏物語の「浜の屋形」と「岡の屋形」の想定地を考え歌碑などを設置したため、現在も訪れることができます。
・第65代天皇である花山天皇は、藤原氏の策謀により986年(寛和2年)6月22日に19歳の若さで出家されました。
・花山法皇は兵庫県三田市の花山院に隠棲された寺として有名で、西国霊場の番外札所なので多数の参詣者があります。
・書写山円教寺の性空(しょうくう)上人は、平安時代中期にもっとも崇敬を受けた高僧の一人で、多くの人が書写山に参詣しています。
・花山法皇は性空上人との結縁(けちえん)を求めて書写山へ行幸し、円教寺は圓教寺号を賜って花山法皇の御願寺となり、大講堂が造立されました。
・京都市の小塩山、福井県越前市の日野山へ登ったときの記録です。
=以上=