紫式部の足跡 ~山歩きで見た説明板~
■紫式部の足跡
・2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公である紫式部について、山歩きの際に説明板などで見受けることがありますのでご紹介します。
・以下は、紫式部の和歌「ここにかく 日野の杉むら埋(うづ)む雪 小塩(をしお)の松に 今日(きやう)やまがへる」の説明板や石碑がある京都市・大原野神社と福井県越前市・日野神社の事例です。
・和歌の説明は、大原野神社HPの紫式部の氏神「京春日」をご覧ください。
・ご紹介する2例とも、説明板は山麓の神社にあります。
・もし登山される場合は、ガイドブックなどを参考にし登山装備を整えてください。2例とも熊出没注意の表示がある山域です。
■参考参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます)
・パソコンよりもスマホの方が画素密度が高いためきれいに見えます。
◆小塩山(おしおやま、642m、京都市西京区)、2015/04/17撮影
・京都市西京区大原野に鎮座する大原野(おおはらの)神社は、奈良春日大社から分霊された藤原氏の氏神で京春日と呼ばれます。
・大原野神社の神域は広大で、朱塗りの社殿は奈良春日大社に似ています。
・藤原氏の一族である紫式部も大原野神社に参詣しました。
★大原野神社HP
大原野神社 – 京都西山 京春日 紫式部 氏神のやしろ (oharano-jinja.jp)
以下は紫式部の話題です。
紫式部の氏神「京春日」 – 大原野神社 (oharano-jinja.jp)
紫式部御朱印 京都新聞に掲載されました! – 大原野神社 (oharano-jinja.jp)
①小塩山
・小塩山は大原野神社の西に位置します。
・山上には春にカタクリの花が咲き、春の女神・ギフチョウが舞います。
・山頂に淳和(じゅんな)天皇陵があります。
②大原野神社鳥居
③説明板「源氏物語ゆかりの地」
・真ん中に紫式部の和歌の説明があります。
④鯉沢の池
⑤拝殿
・拝殿前に狛犬ならぬ狛鹿が見えます。
⑥狛鹿?
⑦社殿の説明板
⑧小塩山上の淳和天皇陵近くの掲示板(2016/04/08撮影)
・左上に紫式部の和歌が掲示されています。
◆日野山(ひのさん、795m、福井県越前市・南越前町の境)、2016/08/10撮影
①日野山(別名:越前富士)
・福井県越前市のJR北陸本線・王子保(おうしお)駅近くから撮影。
②日野神社鳥居
③中部北陸自然歩道の説明板
・左側の説明文に「紫式部をはじめ、松尾芭蕉、与謝野晶子らにもその姿を詠まれた南越の名峰です」と書かれています。
④日野神社・拝殿
⑤日野神社
・拝殿と本殿です。
・日野山の中平吹登山口直前にて撮影。
⑥日野山5合目・室堂付近の不動明王像
⑦日野山頂上の日野神社奥宮(左上)と休憩所(右下)
⑧日野神社・由緒之碑(下山後に撮影)
・真ん中に紫式部の和歌が記載されています。
■紫式部・源氏物語関連の投稿一覧
・現光寺は須磨に蟄居した光源氏の住まいとして知られています。
・光源氏は小説の主人公で架空の人物なのに、なぜこのように言われているのか不思議です。
・須磨寺には源平の庭の近くに光源氏が植えたという「若木の桜」と伝えられる桜の木があるそうですが、今回は見落としました。
③【後編】須磨離宮公園(月見台・行平月見の松・梅園)、松風村雨堂
・光源氏のモデルとも言われる在原行平が月見をした月見台・月見の松や、行平が愛した松風村雨姉妹ゆかりの松風村雨堂を巡ります。
④【別編】源氏物語 須磨の巻・歴史散歩 ~多井畑厄除八幡宮~
・須磨配流中の在原行平や、一ノ谷合戦前の源義経が日本最古の厄除けの霊地である多井畑(たいのはた)厄除八幡宮に祈願したといわれています。
・在原行平が愛した松風村雨姉妹は多井畑の村長の娘で、鏡の井や墓が今も残っています。
・古来、多井畑は交通の要衝で、すぐ西に摂津と播磨の国境がありました。
・江戸時代の明石藩主で文学好きだった松平忠国候が、源氏物語の「浜の屋形」と「岡の屋形」の想定地を考え歌碑などを設置したため、現在も訪れることができます。
・第65代天皇である花山天皇は、藤原氏の策謀により986年(寛和2年)6月22日に19歳の若さで出家されました。
・花山法皇は兵庫県三田市の花山院に隠棲された寺として有名で、西国霊場の番外札所なので多数の参詣者があります。
・書写山円教寺の性空(しょうくう)上人は、平安時代中期にもっとも崇敬を受けた高僧の一人で、多くの人が書写山に参詣しています。
・花山法皇は性空上人との結縁(けちえん)を求めて書写山へ行幸し、円教寺は圓教寺号を賜って花山法皇の御願寺となり、大講堂が造立されました。
・京都市の小塩山、福井県越前市の日野山へ登ったときの記録です。
=以上=