兵庫県三田市富士小校区まちづくり推進協議会のみんなでつくるポータルサイト

(富士が丘、上深田、池尻)

2022年 6月 4日 土曜日

義経坂落し伝説のルート・鵯越道を歩く ~藍那駅から鵯越駅へ~


投稿者:ささえあいふじ

■源義経・鵯越の坂落し

・源平の一ノ谷合戦の際、源義経が坂落し(逆落し)によって勝利に貢献したという伝説は有名ですが、進攻ルートや坂落しの場所については諸説あって明らかになっていません。

・今回は想定進攻ルートのひとつ、神戸電鉄藍那(あいな)駅から鵯越(ひよどりごえ)駅までを歩いてみました。

・当ルートは源平合戦の時代にすでに使用されていた古道であり、平家方も源氏襲来を予想して布陣していたこと、周辺に坂落しというほどの急斜面がないことなどから、「義経の坂落し」の現場ではないとの説があります。

・しかし、福原京や大輪田泊(おおわだのとまり)を攻略するには最短ルートでもあります。

・撮影日 令和4年6月1日(水)

 

 

【歩行ルート】

・藍那駅→相談ヶ辻(そうだがつじ)→星和台住宅地→鵯越墓園北門→義経馬つなぎの松跡→高尾山頂→蛙岩→鵯越墓園南門→鵯越駅

・歩行距離8km、標高差は上り331m・下り416m

・次の参考資料のルートのうち、藍那駅から鵯越駅まで歩きました。

 

 

【参考資料】

第45回:「坂落とし」を歩く(その4) 2013年12月15日

学芸員コラム れきはく講座 (hyogo-c.ed.jp)

 

 

 

■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2022/06/01撮影)

 

①藍那駅北側の七本卒塔婆

・詳しいことはわかりません。

 

②藍那の集落

・藍那駅から少し歩くと集落内の急坂を登ります。

 

③道標

・民家の石垣に貼られている道標を頼りに進みます。

・写真の道標の地点を左折して星和台を目指しました。

 

④路傍の石仏と道標

・三叉路に石仏があり、「あいな」「みき」と刻まれています。

・今回は「あいな」方向から歩いて来て左折(みきと反対側)しました。

 

⑤~⑥宝篋印塔

・三叉路を「みき」側に少し行った地点の宝篋印塔で、南北朝時代頃のものであるそうです。

 

⑦あいな里山公園の相談ヶ辻歩行者口

・源義経が軍議を開いたことにちなみ相談ヶ辻と呼ばれています。

・この入口からあいな里山公園に入る場合は、事前に公園HPでご確認ください。

 

⑧相談ヶ辻の民家(あいな里山公園内)

 

⑨相談ヶ辻の分岐

・右は白川、左は鵯越への道です。

・義経はここで軍を鵯越方面と白川(一ノ谷)方面に分けて進軍したという説があります。

 

⑩鵯越へ向かう山道

・進むと星和台の住宅地を経由して鵯越墓園北門に着きます。

 

⑪鵯越墓園内の道路

・墓園は広くて道路がたくさんありますが、歩いているのは筆者だけでした。

・公園のような墓地なので、陰鬱な感じはありません。

 

⑫「高尾山地蔵院」と「義経馬つなぎの松」

・道端に案内板が出ていました。

・写真は入口近くの観世音菩薩像です。

・場所は写真㉖の説明の鵯越墓園全図を参照ください。地図の中段付近に記載があります。

 

⑬~⑮義経馬つなぎの松

・道路から入って突当りの左側に義経馬つなぎの松があります。

・現在は松の根元が残っているだけです。

・説明板と祠があります。

 

⑯九朗川大神、九朗八大神

・扁額に「九朗」の名前があるので、源義経を祀っているようです。

 

⑰高尾地蔵尊

 

⑱不動明王像、役行者像、八大龍王像

 

⑲高尾山登り口

・頂上の無線塔への道路入口です。人間は入れます。

 

⑳高尾山上

・左上に無線塔の一部が見えています。

・右の階段を登ると頂上(403m)です。

 

㉑頂上から東南東の眺め

・ポートアイランドが見えています。

・中央は神戸ポートピアホテル、その左は高層のワールド本社ビルです。

・中段の右端は神戸空港島への神戸スカイブリッジです。

・山の陰で見えない部分には、かつて平清盛が開いた福原京があり、一ノ谷合戦当時は多数の平家軍がいたと思われます。

 

㉒頂上から東南の眺め(直前の写真の右の部分)

・左上は和田岬の三菱重工神戸造船所です。平清盛ゆかりの大輪田泊(おおわだのとまり)はこの少し左に位置します。

・上段の右端はノエビアスタジアム神戸です。

・多分、一ノ谷合戦当時は多数の平家軍がいるのが山上から見えたと思われます。

 

㉓頂上から南南東の眺め(直前の写真の右の部分)

・上段のほぼ中央は神戸市兵庫区遠矢浜町の神戸灯台です。

・中央部に川崎車両の広い工場があります。

 

㉔頂上から南南西の眺め

・中段左端は鉄拐山(てっかいさん、237m)、その右は旗振山(はたふりやま、253m)です。

・一ノ谷は山の向こう側なので見えません。

・上段にうっすらと淡路島がみえています。

 

㉕高尾山頂直下のニシキウツギ(二色空木)

・多数のニシキウツギが咲いていました。

・たまたま咲いているのか、誰かが平家の赤旗・源氏の白旗を念頭に両軍戦没将兵の供養のために植えたものかはわかりません。

 

㉖~㉗蛙岩(鵯越墓園内)

・蛙岩は鵯越道と白川方面への分岐点にある大岩です。義経軍はここから白川方面に向かったという説があるそうです。

・蛙岩の場所は次の地図の真ん中下付近に記載があります。

鵯越墓園全図G-F8944 (kobe.lg.jp)

・園内バス22番バス停の北西側駐車スペースに蛙岩の道標があり、その地点から山道に入ってすぐに右折し2~3分で蛙岩があります。

 

㉘史跡鵯越の石碑

・鵯越墓園南門に「史跡鵯越」の石碑があります。

・下段中央が史跡鵯越の石碑です。

 

㉙石碑の表面

 

㉚石碑の裏面と側面

・碑文「この道は摂播交通の古道で源平合戦のとき源義経がこの山道のあたりから一の谷へ攻め下ったと伝えられる」

・日付「昭和29年2月」

 

=以上=