須磨・一ノ谷探訪 ~逆落しで有名な源平の古戦場~
■神戸市須磨区一ノ谷町
・源平の一ノ谷合戦において、源義経の逆落しで有名な古戦場周辺を歩いたときの写真をご紹介します。
・逆落しの伝説地としては、他に神戸市兵庫区付近の鵯越(ひよどりごえ)が有名ですが、今のところ一ノ谷・鵯越とも確たる根拠はありません。
・平家物語では「逆落」ではなく「坂落」になっています。
★安徳帝内裏跡伝説地
須磨観光協会 – 安徳帝内裏跡伝説地 (suma-kankokyokai.gr.jp)
・地図の右上をクリックして全画面ビューを表示し、次に地図の右下の+をクリックすると、中央部に「逆落し」の表示が現れます。
★歩行ルート
山陽電車・須磨浦公園駅→敦盛塚→須磨浦公園駅→鉢伏山(はちぶせやま、244m)→旗振山(はたふりやま、253m)→一ノ谷分岐道標→逆落し→安徳宮(安徳帝内裏跡伝説地)→戦の濱石碑→須磨浦公園駅
・須磨浦公園駅から一ノ谷分岐道標までは六甲全山縦走路を歩きます。
・低山ですが安全のため、登山靴をはじめ一般的な登山装備で歩くことをお勧めします。ストックも役に立ちます。
・鉢伏山、旗振山とも展望のよい山です。展望絶佳。
・多数の写真を撮りながらゆっくり歩きました。昼食や休憩を含む所要時間は3時間52分、歩行距離は3.7km。
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2022/05/18撮影)
①山陽電車・須磨浦公園駅
・左側の大きい建物は須磨浦ロープウェイの駅です。
・上段左は鉢伏山です。
②須磨浦ロープウェイ
・ちょうどゴンドラが運行中です。
③須磨浦ロープウェイ
・鉢伏山上駅が見えています。
・赤いゴンドラの上に人間が立っています。ロープウェイの係員がケーブルなどの確認中なのかもしれません。
④敦盛塚
・手前右の石碑は「史蹟敦盛塚」、左の石碑は「一の谷敦盛卿之墓」と刻まれています。
・中央に大きい五輪塔があります。
・写真には写っていませんが、左側には敦盛そばの店があります。
⑤敦盛塚の五輪塔
・総高約4mで、中世の五輪塔としては日本第2位の規模です。
・今もなお、きれいな花が供えられています。
⑥敦盛塚の説明板
⑦山陽電車・須磨浦公園駅
・ちょうど須磨浦公園行き電車が到着したところです(相互乗入れしている阪神電車の車両)。
・上は須磨浦ロープウェイ駅です。
・線路に架かる敦盛橋から撮影しました。
⑧与謝蕪村の句碑
・「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」
⑨松尾芭蕉の句碑
・「蝸牛(かたつむり)角ふりわけよ須磨明石」
⑩六甲全山縦走路の道標
・神戸市主催の六甲全山縦走大会では、須磨浦公園から六甲山地を登り下りして宝塚・湯本台広場まで歩きます。
・今回の一ノ谷探訪では、六甲全山縦走路の最初の部分を歩きます。
⑪モチツツジ
・探訪当日は滴るような緑の中を歩きましたが、自生の花は少なくてモチツツジを見かけただけでした。
⑫緑の登山道
⑬東部展望台から見た明石海峡大橋
・須磨浦ロープウェイの鉢伏山上駅に隣接する東部展望台から見た風景です。
・残念ながら霞んでいましたが、視程のよい日は雄大な橋がくっきり見えます。
⑭東部展望台から見た東側の風景
・中央下がJR須磨駅、その左に山陽電車須磨駅が見えています。
・中央右上の白っぽい大きい建物は神戸市立須磨海浜水族園です。
・左上の隅にノエビアスタジアム神戸が見えています。
・右手は須磨海岸です。
⑮鉢伏山と旗振山の分岐
・左に見える道は鉢伏山頂を経由して旗振山へ行きます。
・右へ行く道(写真に写っていない)は鉢伏山頂を巻いて旗振山へ行きます(六甲全山縦走路はこちら)。
⑯旗振山頂
・江戸時代に大阪堂島の米相場を旗振りによって西の加古川方面へ伝えていました。
・見通しのよい立地なので、現在は無線塔が立っています。
⑰旗振山頂の道標
・左の標識は、ここが摂津と播磨の国境であったことを示しています。
⑱「旧妙見堂を経て一の谷町」の道標
・この地点は旗振山頂と鉄拐山(てっかいさん)頂間のほぼ真ん中に位置します。
・道標の「一の谷町」の方向へ進みます。
⑲須磨一ノ谷(坂落とし)の説明板
・直前の写真の分岐にある立ち木に次の説明板が掛かっています。
・ここから安徳宮(安徳帝内裏跡伝説地)への道が、源義経の騎馬軍団の進軍路であるという説明です。
⑳逆落し上部からの風景
・急なコンクリート階段が続いています。階段は一段毎の段差が大きいので踏み外さないように注意します。
・階段が始まる地点の直前に展望台らしいものがありますが、草木が繁茂して展望はありません。
・階段は次の地形図中央の+印の前後の曲がった区間にあります。
・⑱の地点は地形図の左上(須磨浦公園の須の字の一番上付近)にあり、そこから右斜め下へ破線と二重破線を通って中央右下の住宅地に至りました。
㉑階段を少し下った地点からの風景
・安徳宮は見えていませんが、写真左上の住宅地内にあります。
・この付近は山が海岸に迫った急な地形です。安徳宮は急な山並を背に、海岸からは約50m高い台地上にあって、防備しやすい立地だったと思われます。
㉒コンクリート階段
・下から見上げた階段で、段差が大きいです。
・一ノ谷合戦の頃はコンクリートがなかったので、地道があったとしても細くて滑りやすかったのではないかと思います。
㉓階段の東側
・絶壁のように切れ落ちています。
㉔安徳宮(安徳帝内裏跡伝説地)
・南端の鳥居から見たところです。
㉕安徳宮
・宮前の一対の灯篭は、明治時代にモルガン・ユキ(米国の大富豪モルガン財閥の御曹司に熱望されて国際結婚した女性)が献納したものです。モルガン・ユキはかつてこの付近に住んでいまた。
㉖安徳宮の祠
・端正な祠です。今もなお、きれいな花が供えられ、付近一帯はよく整備・清掃されています。
㉗石碑
・左端は安徳帝内裏跡伝説地の石碑、中央は皇女和宮像です。
㉘安徳宮の説明板
㉙安徳宮のある台地南端からの風景
・神戸市須磨区一ノ谷町2丁目の住宅地南端(標高約35m)から撮った写真です。
・海岸までの狭い範囲に海側から、JR山陽本線、国道2号線、ベルト状の須磨浦公園、山陽電鉄線が密集しています。
・手前は走行中の山陽電車です。
㉚台地南端の急斜面
・つづら折りの狭い歩道が通じています。
㉛戦の濱の石碑
・一ノ谷合戦を偲ぶ石碑で神戸市観光課が昭和13年3月に建設したものです。
=以上=