六甲修験道 ~古の修験者が歩いた山道~
■山号が六甲山の寺
寺院には山号があります。例えば三田市の花山院は東光山花山院菩提寺、宝塚市の中山寺は紫雲山中山寺です。
ところで、山号が六甲山である寺院をご存じでしょうか?
答えは、西宮市の六甲山鷲林寺(じゅうりんじ)と神戸市北区の六甲山多聞寺(たもんじ)です。
筆者は山歩きをする内に、かつて六甲山に修験道のルートがあったことを知りました。ルートの出発点は鷲林寺、到着点は多聞寺です。多聞寺がある現在の神戸市北区有野町唐櫃(からと)の集落には、約1300年前に役行者が奈良県天川村洞川(どろがわ)から呼び寄せた四鬼氏の子孫が今もなお健在で、多聞寺の行事で重要な役割を果たしているそうです。
六甲修験道の推定修行ルートは、鷲林寺→石の宝殿→雲ヶ岩→三国岩→シュラインロード(行者道)→多聞寺→四鬼総家です。実際に歩いたときの参考写真を添付しますのでご覧ください。三国岩周辺はまだ歩いていません。
【参考資料】
★西宮市立郷土歴史館ニュース第35号 第26回特別展示「西宮の山岳信仰」
https://www.nishi.or.jp/bunka/rekishitobunkazai/ritsukyodoshiryokan/kyodo-news.files/news35.pdf
★六甲山魅力再発見市民セミナー
第6回テーマ : 六甲山北山麓の歴史 ~歴史探遊と講演~ (全3頁)
https://www.rokkosan-katsuyo.com/kyodoshimap/pdf/b_1_11.pdf
※四鬼家については当資料をご覧ください。
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示します)
以下は、2016年10月から2017年6月にかけて撮影した写真をルート順に並べたものです。
1-鷲林寺バス停の説明板の一部
写真の右側中段に「旭滝と六甲修験の道」の説明があります。
2-鷲林寺石柱
確かに六甲山鷲林寺となっています。
3-鷲林寺本堂
4-旭滝
観音山のせせらぎコースをかなり登ると旭滝があります。登山道に旭滝の表示はありません。小さい滝ですが、ここで修験者は身を清めたのでしょう。
5-旭滝遠景
登山道を外れて、岩が積み重なった中の踏み跡らしいものをたどると滝が見えます。写真のほぼ真ん中に滝が見えています。
6-芦屋奥池
観音山から奥池方面への分岐には道標がなく、道を間違えました。
7-芦有ドライブウェイ横断
8-熊笹峠付近
どこが峠なのかわかりませんが、周辺は熊笹が多いです。すぐ北側を芦有ドライブウェイが通っています。
9-工事用広場
工事用の広場へ出ました。また山中へ入るつもりが、ここから芦有ドライブウェイを歩きました。
10-見事な黄葉
工事用広場前に見事な黄葉がありました。
11-宝殿IC
宝殿ICから県道16号線(六甲稜線を走る道路)へ入りました。
12-白山神社(六甲山神社)
神職がおられたので六甲修験道について「参拝箇所に碑伝が見当たらないですが、今も修験者は活動しているのですか」と聞いたところ、「今は活動していない」とのことでした。また、白山神社の南側直下に不動滝があることを教えてもらいました。碑伝(ひで)は修験者の所属・氏名・参拝日付等を書いた木札です。
13-石の宝殿
白山神社の神様が祭られている祠です。
14-不動滝
白山神社直下の不動滝です。写真の最上段の中央にパイプから落ちる水が写っています。
15-滝の口
不動滝の水は山に差し込んだパイプから流れ出ていました。
16-六甲比命神社登り口
六甲山の上美術館さわるミュージアム付近から入ります。登り口の真新しい木製道標に「六甲山吉祥院多聞寺奥ノ院」と明記されています。
17-心経岩
法道仙人が般若心経を刻んだという心経岩です。本来の岩が大正時代に流失したため、これは2代目ということです。岩の左下に発起人の名前が刻まれていて、四鬼氏の名前もありました。
18-六甲比命神社
巨岩にへばり付くような位置に六甲比命神社があり、堂内はきれいに維持されていました。ここに至るには工事現場にあるようなパイプ製の急な梯子を登ります。
19-雲ヶ岩
法道仙人がここで修業中に紫雲に乗った毘沙門天が岩上に現れたという言い伝えがあります。
20-仰臥岩
右の岩の右端に西国三十三ヶ所巡礼の中興の祖・花山(華山)法皇の名前が刻まれています。
21-行者堂の祠
シュラインロードを下る途中に行者堂の石祠があります。役行者と前鬼・後鬼が祭られています。
22-行者堂の石碑
石祠の前の石碑に建立者名が刻まれています。六甲山多聞寺もあります。
23-多聞寺の門
門前の右側の石柱の下部に山号「六甲山」が刻まれています。
24-多門寺本堂
本堂の他に立派な御堂がいくつかあります。
25-水行場の不動明王像
26-多聞寺の黄葉
秋の多聞寺の境内は紅葉・黄葉がきれいです。
=以上=