三田の前方後円墳 ウオーク開始
富士が丘サークルでは三田(神戸市北区含む)の前方後円墳を毎月巡るウオークを始めました。
古墳を巡り被葬者氏族が誰か推定し「古代の三田」に思いを巡らす旅です。
(第22回フラワータウンカレッジ「古代の三田」関連事業です)
古墳を巡るウオークと言っても発掘後,土地整備され現在は跡形もないので古墳を想像しながらのウオークです。
■3月8日(月曜日)ウオークコース
北神3号地点古墳から塩田北山東古墳を巡るウオークです。
神鉄道場駅⇒北神3号地点古墳⇒塩田北山東古墳⇒寺村町⇒屋敷町⇒フラワータウン富士が丘
徒歩数:15,110歩
■神鉄道場駅から出発
神鉄道場駅にて、これより徒歩1分で北神3号地点古墳に着きます。
■北神3号地点古墳(神戸市北区道場日下部)
有馬郡で唯一、前方後円墳の形状が残っている、北神2号点古墳(円墳)から撮影。
・横穴石室、全長36m、6世紀後期
・推定埋葬氏族 日下部氏
・この地域は古代:有馬郡日下部郷により日下部氏と推定される。
日下部氏は有馬郡に接する武庫郡の郡司でもあり三田から西宮河口まで武庫川流域の森林地帯を管理していたものと思える。
その配下で渡来人の桑原氏(フミヒト系氏族)が木材の物流管理を担当していたものと考えられる。
(物流管理:武庫川を木材の物流ルートとして活用、木材の調達、運送、在庫管理等)
この近くの武庫川流域に桑原の地名があり、近くにある尼崎学園古墳(円墳)などが桑原氏の古墳かも知れない。
(推定埋葬氏族は第22回フラワータウンカレッジ「古代の三田」渡辺利雄氏講演から 令和2年11月)
■塩田北山東前方後円墳(住所:神戸市北区道場町塩田)
当古墳は、八景の丘陵の塩田八幡神社近くにあり現在は神戸三田メモリアルパークの霊園として整備され跡形は無い。
神戸三田メモリアルパークにて撮影
この撮影場所辺りが塩田北山東前方後円墳があった場所<八景の丘陵(神戸市と三田市の境界線近く)>
・塩田北山東前方後円墳概要
構造:粘土槨、全長35m、4世紀中期
場所:上記撮影場所
当古墳以外にも前後に2基の前方後円墳がある。
<塩田北山西古墳:4世紀前期(上記写真の裏手の小山)、名称不明(上記写真の鉄塔の下)>
■推定埋葬氏族:大神(三輪)氏
大神氏の3世代にわたる古墳と考えられる。
当、塩田北山東古墳は八景丘陵の南面の八幡神社古墳群(約10基)の首長墓と考えられ神戸市が担当。
また、この直ぐ側の八景丘陵北面にも上山古墳群(約70基)首長墓として上山古墳1号墳:前方後円墳(6世紀)があり三田市が担当している。
この両古墳が混在しているのを見ると両古墳群は同一氏族の古墳と考えられ、4世紀前期に大神氏がヤマト王権から初めて派遣されこの地域を治めたものと考えられる。
4世紀当初には、大神氏が有馬郡全域を治めていたが6世紀に入り何らかの理由により有馬郡の一部の大神郷(上山古墳群が見える八景丘陵北面)に領地を縮小され、八景丘陵南面には日下部氏が進出したものと考える。
<大神(三輪)氏推定理由>
・大神郷に面する八景丘陵に古墳(上山古墳群)が設置されている。
上山古墳群と八幡神社古墳群は同一氏族。
・神話 4道将軍から大神氏が見える
祟神10年天皇より「三輪の神の教えを広め従わない勢力には軍を派遣して討伐せよ」 北摂・丹波・但馬の制圧のため丹波道主命を将軍とする、三輪族の部隊と神直・神人が派遣された。 「日本書紀第5巻・親長記・大神神社資料から」 三輪町村史
4道将軍(丹波道主命)の平定ルートに4世紀前方後円墳、大神郷が伝播しており単なる神話とは言えない。
(平定ルート上の大神郷:河辺郡(大神郷)、有馬郡(大神郷)、丹波国(美和郷)、因幡国(美和郷)、伯耆国(上神郷)
(推定埋葬氏族は第22回フラワータウンカレッジ「古代の三田」渡辺利雄氏 講演から 令和2年11月)
近くの塩田八幡神社で撮影
八景の丘陵を横断ウオークし寺村町に出る、近くのレストラン(big boy)で昼食
昼食後、本町通、屋敷町を通りフラワータウン富士が丘に帰着。
以上