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2021年 5月 5日 水曜日

広島県・篁山 ~小野篁の生誕地伝説~


投稿者:ささえあいふじ

■六道珍皇寺と復曲能「篁」

令和3年5月4日(火)のNHKニュースにて、「京都市 500年ぶりに能の演目が復活 能楽師がせりふ奉納」が報道されました。

復曲能「篁(たかむら)」は、平安時代初期の貴族、小野篁(おののたかむら)が主役の演目です。せりふ奉納は小野篁と縁が深い京都市東山区の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)で行われました。

 

小野篁は昼間は朝廷に仕え、夜は地獄で閻魔大王の補佐をしていたとの伝説があります。冥界への往復に使っていたのが六道珍皇寺の井戸です。世の中には不思議な話があるものです。

 

 

★幻の能「篁」迫力の復曲 500年経て京都で披露(京都新聞記事、2020/12/27)

https://this.kiji.is/715761614890188800?c=39546741839462401

 

小野篁は平安時代の人で学問をよくして政務能力があり、漢詩・和歌に秀で書道の達人でした。篁は身長188cmで弓馬も得意でした。美人で有名な小野小町は篁の子または孫、書道で有名な小野道風は篁の孫と言われています。

 

天皇に重用されましたが、罪を得て隠岐の島に流されました。2年後に許されて京都に戻り、参議にまで出世しました。

百人一首の「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」は、隠岐の島へ向かって船出する際に詠んだものです。

 

 

■篁山(たかむらやま、522m、広島県東広島市)

篁山西麓の河内(こうち)町入野(にゅうの)で小野篁が生まれたという伝説があり、入野一帯には「たかむらの里」、篁山頂上部の竹林寺への参道には小野篁の石像や歌碑などがたくさんあります。竹林寺の近くには「特別旧跡 小野篁誕生地」の大きい石碑と説明板が河内町によって設置されています。

 

筆者は平成29(2017)年9月2日(土)にたまたま篁山に登りましたので、そのときの記録をご紹介します。このときはJR青春18きっぷを使用し、行程は新三田駅(05:03発)→山陽本線・入野駅→篁山竹林寺→河内駅→新三田駅(21:08着)で日帰りでした。

 

 

■篁山ハイキングの注意と資料

登山靴など、通常の登山装備を用意し、スマホGPSアプリ等でルートを確認しながら歩くことをおすすめします。

篁山は低山なので登山道や車道が入り組んでいます。

登山した日は、竹林寺と駐車場以外の山中では誰にも会いませんでした。東広島市はクマ生息地域なので、クマ鈴とクマ撃退スプレーを携行しましたが、クマには遭遇しませんでした。

 

 

★東広島てくてくマップ 入野 篁伝説と竹林寺参詣

歩行ルートをはじめ、篁伝説、竹林院などの説明がわかりやすく記載されています。

この資料では篁山山頂が535mになっていますが、最新の国土地理院地形図では522mの標高点が記載されており、三角点はありません。

https://www.city.higashihiroshima.lg.jp/material/files/group/42/29239713.pdf

 

★篁山(広島)の山総合情報ページ / 登山ルート、写真、天気 …

https://yamap.com/mountains/10391

 

★京都市・六道珍皇寺と小野篁の不思議な伝説

http://www.rokudou.jp/legend/takamura.html

 

 

 

■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2017/09/02撮影)

 

①JR山陽本線・入野(にゅうの)駅

下車したのは筆者だけでした。

 

②入野川を渡り正面の坂道を登ります

 

③赤瓦

東広島市周辺は赤瓦の屋根が多いです。赤瓦は雨・風・水・凍結に強い島根県の石州瓦で、島根県から瓦職人を呼び寄せて造ったものです。

 

④たかむらの里

この日は休館でした。

 

⑤~⑥たかむらの里の掲示

 

⑦篁山への道

 

⑧各種表示

右下に竹林寺参道の石標が見えています。

 

⑨竹林寺への登山道

 

⑩小野小町の石像と歌碑

小野小町は小野篁の娘または孫と言われています。右の大きい石は「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」の歌碑です。

 

⑪小野篁の歌碑

真ん中は「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」の歌碑です。

石像は確認し忘れましたが小野篁でしょう。

 

⑫獣害防止ゲート

 

⑬~⑭登山道

 

⑮姫路滝(ひめじたき)

写真ではわかりにくいですが、真ん中の大岩の下に水が少し流れています。

伝説によると、近くの松ヶ嶽城の姫君が供の女性を連れてすすぎものをしに通って来たそうです。

 

⑯登山道

険しい部分があります。

 

⑰松ヶ嶽城の井戸

現在残っているのは井戸だけです。

 

⑱竹林寺仁王門

 

⑲八千代橋

竹林寺境内の大きい池(八千代池)にかかる屋根付きの八千代橋です。八千代は篁の母親で、母親が願掛けで1000日も寺まで登って来て参拝した結果、篁が生まれました。

 

⑳竹林寺本堂

 

㉑竹林寺縁起

 

㉒竹林寺付近から見た南側の風景

 

㉓篁山頂上

三角点はなく、東西に長い山頂なので、正確にはわかりませんが、山名板があったので頂上のようです。

 

㉔阿弥陀如来像

 

㉕石碑と説明板

河内町が建立した大石碑と説明板です。

 

㉖山上から見た民家と山陽本線

 

㉗左は参拝者用駐車場とトイレ

 

㉘車道から河内駅への歩道の分岐

右の標識に略図が書いてあります。

 

㉙河内駅付近の街並

 

㉚JR河内駅

 

=以上=