福沢諭吉が先生と呼んだ男たち「近代の三田」講演会を聞きました
三田の歴史入門の最終回第4回「近代の三田」講演会(講師:三田市生涯学習支援課 印藤参事様)を3月14日(土曜)まちづくり協働センターで開催しました。 主催 三田の「魅力探検寺子屋」 協賛 富士が丘魅力あるまちづくりサークル
(内容の一部を紹介します)
幕末から明治維新にかけ三田には改革マインドを持った人物がおり(福沢諭吉が先生と呼んだ)、全国でも最先端の改革を実行した事など大変興味深く講演を聞きました。
しかし改革は、あまりに急進的すぎ農民一揆により明治新政府よりストップがかかり、彼らは結果的には三田を出ざるを得ず神戸に活動拠点を移し、神戸の都市計画に大きな業績を残し、神戸市が後に「神戸株 式会社」と言われる素地を作ったと言われている。
<農民一揆の状況を記した文書>
(農民一揆は明治新政府が改革潰しのため暗躍したのではとの説もある)
こうしてみると、彼らが三田で改革を続けていると今の三田も、もっと大きく変わっていたのではないかと複雑な心境になる講座でありました。
■改革マインドを持った人物たち
幕末の藩財政悪化の時、白洲 退蔵や小寺泰次郎らを抜擢、藩政を改革。
藩政を取り仕切り、川本幸民を師として元藩士に洋学 を学ばせるなど、人材の育成に力を尽くした。
(福沢諭吉が先生と呼ぶ)
白洲退蔵を補佐して三田藩の財政建て直しに 尽力した。
緒方洪庵とは、終生の 友情により結ばれ、その門下の福澤諭吉とともに後年、三田に大きな影響を与えた。
(福沢諭吉が先生と呼ぶ)
以上