奈良山古墳群探訪 ~なぜ兵庫県三田市に奈良山があるのか?~
■お断り
・兵庫県三田市の奈良山古墳群を歩いた記録ですが、整備されていない区間や公有地でない地域があります。
・この投稿を見て入山しケガ等を負われたり、何か問題を起こされても筆者は一切責任を持てません。
■奈良山とは
・兵庫県三田市ウッディタウンの中央公園にある低い山並が奈良山です。
・奈良山の最高所は約213m、麓の南西の中央公園前交差点にある標高点が179mなので、標高点との標高差は約34mです。
・奈良山は東西約670mあり、途中が道路で分断されています。
・三田市民病院のすぐ南の道路は、ニュータウン造成時に奈良山の山並を一部切り崩して建設されたものです。
・三田市遺跡地図には奈良山古墳群として14基の古墳が記載されており、そのうち第7号墳と第12号墳が整備されています。この2つの円墳は遊歩道を登れば見ることができます。
・上記を含め7基が現存しているようです。
・そこで、昔の奈良山の山並に相当する部分を歩いて見ることにしました。
【なぜ奈良山という山名なのか】
・筆者は山歩きで数多くの古墳に遭遇しているため、奈良山に古墳があることには驚きませんでした。
・しかし、奈良山という山名には驚きました。奈良の都から遠く離れた地に、なぜ奈良山があるのか疑問に思いました。
・日本唯一の山名事典で25,100項目を収録する三省堂刊『日本山名事典』には、奈良山丘陵の項目があり次のように記載されています。
「京都府木津川市と奈良県奈良市にまたがる。歴史・文学上の那羅山・平山・平城山のこと。・・・標高100m内外の丘陵で、東部の佐保山と西部の佐紀山を合せて古くは奈良山と呼んだ。」
・旺文社刊『古語辞典』には、奈良山・平城山の項目があり次のように記載されています。
「奈良の京の北方に横たわる低い丘陵。佐紀丘陵の一部。」
・奈良山古墳群の所在地として「けやき台」や「すずかけ台」の他に「貴志字奈良山」となっている古墳が5基あります。
・以下は筆者の私見(妄想かも)です。
-その昔、平城京周辺に住んでいた人たちが現在の三田市貴志に移住して、北方に横たわる低い山並に古墳を造った。
-奈良の奈良山は墳墓の地であったことにちなみ、貴志の北方の山並を奈良山と呼んだ。
【事前準備】
・中央公園管理事務所で聞いたところ、次のことがわかりました。
-山道(遊歩道とは別)沿いに一部の古墳がある。
-現在の公園敷地外の古墳の状況や、立入の可否はわからない。
【一般的な登山】
・一般的に日本の山は、私有地であっても通行する分には何も言われません(ただし、松茸シーズンの松茸山等は除く)。
・稀に所有者が入山を禁止したり、入山料を徴収するケースがあります。
・動植物を盗ったり、道・樹木・設備等を損壊することは犯罪になります。
【奈良山縦走】
・そこで筆者は自己責任で、奈良山の山並を歩きました。
・登山装備(登山靴、ストック、防寒着、帽子、手袋)を整え、万一事故等で行き倒れになった場合に備え、YAMAP GPSアプリの見守り機能をオンにしておきました。これで、家人は筆者の所在を正確に把握できます。
・人がほとんど入らない山は、うっかりすると木の枝で目を突いたりすることがあるため、周囲の状況を見ながらゆっくり慎重に歩きました。
【結果】
・素人には草木が繁茂する中で古墳を識別することは困難で、ほとんどわかりませんでした。
・第7号墳から東の部分は、山中が荒れていて、踏み込まない方がよいです(踏み跡なし)。
・一部の古墳らしいものは写真で紹介します。
・下山後に中央公園管理事務所へ行き、簡単な踏査結果と無事に戻ったことを伝え、お礼を言って帰途につきました。
■参考資料
・三田市の下記サイトを見ると、地図上で奈良山古墳群の位置がわかります(ただし、一般人が安全に行ける場所かどうかはわかりません)。
三田市遺跡地図がホームページ上で確認できるようになりました/三田市ホームページ (sanda.lg.jp)
・北摂ニュータウン内遺跡調査報告書
北摂ニュータウン内遺跡調査報告書 – 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)
このような膨大な資料が残されていることに感銘を受けました。
最初の1~4頁に奈良山古墳群の簡単な説明と地図があります。
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます。2022/01/16撮影)
・遺跡番号は三田市遺跡地図に記載されている番号です。
①中央公園の南西角に位置する中央公園前交差点
・地形図には交差点の真ん中付近に179mの標高点が記載されています。
・後の山並が奈良山です。最高所は約213mなので、標高点との標高差は約34mです。
②奈良山は右(東)へ行くにつれ標高が低くなります。
③~④山道の入口
・下段中央の木の板を渡ると山道(階段のある遊歩道とは別)に入ります。
・この日の山道は草が刈られていて歩きやすかったです。季節によってはマムシに要注意です。
⑤整備された奈良山第12号墳(遺跡番号749)
・奈良山の最高所にある円墳です。
⑥第12号墳の東南側
・写真の階段左付近に円墳があるはずなのですが、よくわかりませんでした。
⑦~⑧円墳?
・山上トイレの南側にある土盛りで、遺跡番号747の第10号墳のように思われます(確証なし)。
・2枚目の写真は土盛りの南側の山道で撮ったものです。
⑨写真③の山道の登り口近くの土盛りらしいもので、遺跡番号745の第8号墳かも知れません(確証なし)。
・山道を下り再度登りなおしたので、写真の順序が入れ替わったように見えます。
⑩左下は稜線上の四等三角点(基準点名・貴志、標高206.2m)で、右上に第7号墳の一部が見えています。
⑪~⑫整備された第7号墳(遺跡番号744)
⑬第7号墳の東
・右側にフェンスが山麓まで続き、「入らないでください」という注意書きありました。
・このフェンスを乗り越えて進むと、崖から墜落する恐れがあります。
・写真のような通行の妨げになる枝などが各所に置かれ、「通行禁止」を示しているようです。
・第7号墳から山麓までは短い距離ですが、藪山のようで歩行は細心の注意が必要です。
・これ以降はほぼフェンスに沿って下りました。
⑭山麓の歩道が見えました。歩道の向こうは三田市民病院の敷地です。
⑮三田市民病院南の道路(バス道)
・この道路は奈良山の山並を切り崩して造成されました。
・真ん中の階段を登ると阿弥陀堂があります。
⑯市民病院前交差点付近
・左が奈良山、真ん中は直前に降りて来た歩道(階段道)で、その右は三田市民病院の敷地です。
⑰阿弥陀堂への階段から見た奈良山
・道路建設によって奈良山の山並が大きく切り崩されたことがわかります。
⑱阿弥陀堂
⑲土盛り
・阿弥陀堂の東に位置する土盛りらしいもので、遺跡番号741の第4号墳と思われます(確証なし)。
⑳~㉑方形台状墓?
・山中では珍しい平面部分を持つ台形のものです。
・遺跡番号739または750の方形台状墓かもしれません(確証なし)。
・2枚目の写真は上面を撮ったものです。
=以上=