大船山 ~神々が降臨する山、展望絶佳~
■大船山(おおふなやま、653m)
兵庫県三田市の大船山は三角形の山で、神々が降臨する山として昔から地元の崇敬を受けて来ました。
登山口は三田市十倉、波豆川(はずかわ)のカナディアン大磯、波豆川バス停付近の3ヶ所にあります。
高い山ではありませんが、登山に適した服装・装備で登ることがおすすめです。山歩きに慣れていない人は経験者との同行が望ましいです。
令和2年3月9日(月)にカナディアン大磯から山頂まで往復しましたのでご紹介します。
■参考写真(写真をクリックすると拡大表示できます)
1-大船山登山コース案内図
2-カナディアン大磯(三田アスレチック)登山口
駐車料は500円でした。
3-祠
すぐそばに「三十三観音霊場入口」の表示がありました。
4-登山道
5-分岐
波豆川がカナディアン大磯側です。ここから大船山頂へ向かいます。
6-登山道
わかりにくいですが、V字状の直進する道と、左の尾根道に分かれています。
よくわからないので、登りではV字状の道を直進しましたが、両方の道は平行していることが分かり下りは尾根道を歩きました。
7-V字状の道
荒れていて歩きにくいです。尾根道の方が歩きやすいです。
8-分岐
大船山頂を目指します。ここから急登になります。
9~10-急登
頂上までトラロープ付きの急な登りが続きます。
11-大船山頂
広い頂上には石祠、周囲の山名表示板、説明板、三角点があります。
展望はすばらしいですが、この日は遠くが霞んでいました。
12-大野山(おおやさん、754m)
北側の大野山頂です。無線塔がたくさんあります。
13-深山(みやま、791m)
北東に深山があり、深山頂上の深山宮の大岩(左の山上に突起のように見える)や深山レーダー雨量観測所の建物が見えています。
14-東南東の展望
大阪府豊能町、兵庫県川西市方面のニュータウンが見えています。
15-南東の展望
川西市緑台・向陽台など、能勢電鉄平野駅周辺が見えているようです(正確ではありません)。
中央は大阪府池田市の五月山から箕面山への山並、その上に薄く見えるのは生駒山地です。
16-南南西の展望
中央左は三田市の羽束山(はつかやま、524m)、右は宰相ヶ岳(さいしょうがたけ、500m)です。
17-南西の展望
中央は有馬富士(ありまふじ、374m)です。
18-南南東の展望
大船山直下の波豆川の集落です。中央右上の交差点の広場が波豆川口バス停です。
19-三田市富士が丘
中央の左下が三田市富士が丘です。
中央の少し下に富士中学校体育館の青屋根、左に県営富士が丘高層住宅、ディアコルモ富士が丘のマンションが見えています。
上段に薄く霞む山は、左が神戸市西区神出町の雄岡山(おっこさん、241m)、右が雌岡山(めっこさん、249m)です。
20-説明板
立派な説明板ですが、内容に疑問がありますので、次に詳しく記載します。
★★大船山頂の説明板の疑問=明石海峡から大船山が見えるか?★★
大船山頂上の説明板には、柿本人麻呂の和歌「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」とともに、人麻呂が明石海峡からこの山を遠望して「大和へ帰ったぞ」とよろこんだともされると記載されています。
*和歌の意味=都から離れた田舎から長い道を、都(自宅や妻)を思いながら帰って来ると、明石海峡から大和の山々が見えた。
本当に明石海峡から大船山が見えるのでしょうか?
答えは「見えない」です。
【国土地理院地形図による考察】
*明石海峡大橋の真ん中から大船山頂までの直線距離は約44kmです。
*明石海峡大橋の真ん中と大船山頂を直線で結ぶと、ちょうど真ん中に丹生(たんじょう)山系の稚子が墓山(ちごがはかやま、596m)と花折山(はなおりやま、574m)の間の標高約500mの稜線があります。現在の地形図には任意の地点間の断面図を描く機能がありますので簡単にわかります。
*したがって、おおざっぱに言えば、大船山の標高が約1000m超でないと明石海峡から見えません。
*丹生山系は東西に長い屏風のような地形なので、明石海峡付近では大船山は見えません。
*兵庫県姫路市から加古川市にかけての播磨灘からなら大船山が見えます。
【大和島について】
★大和島とは何か?
*柿本人麻呂は奈良時代の持統天皇・文武天皇の頃の人ですから都は藤原京でした。現在の奈良県橿原市・明日香村付近です。
したがって、大和島は大和の国の陸地、すなわち藤原京の方向にある二上山付近の山並であると考えるのがよさそうです(大和島を生駒山としているケースもありますが、双耳峰の二上山は藤原京の人々にとっては格別な山でした)。
*二上山は明石海峡から東南東に見えます。
船が真西から真東へ走る場合、生駒山は明石海峡のかなり手前から見えますが、二上山は淡路島の陰になっていて、船が明石海峡に入ると見え始めます(航路によります)。「明石の門より大和島見ゆ」の表現にぴったりです。
★柿本人麻呂が大船山を見て大和島と呼ぶことはあり得るか?
*万葉集に次の和歌が人麻呂作として記載されています。
名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
*和歌の意味=播磨灘の多くの波の彼方に、大和の山々が隠れてしまった。
*この和歌は人麻呂が海路で筑紫へ行くときに詠んだものです。
印南の海は現在の播磨灘のことで、播磨灘からは大船山が見えます。
したがって、大船山は大和島根(大和島に同じ)ではないということになります。
=以上=